株式会社エルプ/針のいらないレコードプレーヤー。レーザーターンテーブル

千葉三樹ヒストリー

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千葉三樹 レーザーターンテーブル生みの親

imageOne and Only, since 1989

1940年11月7日 群馬県生まれ。2016年9月12日(75歳没)。
航空自衛隊、亜細亜大学を経て専修大学大学院修了後、1968年にゼネラル・エレクトリック(GE)に入社。徹底的な調達コストのカット、極東地域におけるコンデンサ、半導体調達による大幅コストダウンの手腕を買われ、1985年、日本人として初の副社長に抜擢される。その後、ビジネスの方針をめぐって会長兼CEO(当時)のジャック・ウェルチ氏と対立。GEを去る。
帰国後、1987年株式会社エルプの前身である(株)BSRジャパン(英国BSR社の出資会社:高級オーディオ・プレーヤーからオート・プレーヤーまでのレコード・プレーヤーを中心に生産、販売を展開)で日本での事業を開始。
1989年に世界中の技術者から注目を浴びていた革新的な光学式アナログ・レコード・プレーヤー【レーザーターンテーブル】の全権利を米国FINIAL社より取得、開発・生産・販売を開始。
1997年に株式会社エルプに社名変更、4半世紀にわたり【レーザーターンテーブル】事業に情熱を注ぎ、光学式によるレコード盤再生技術を世界に送り出す。

レーザーターンテーブルの誕生はアナログ・レコード盤を傷めることなく、人類の英知と文化をいつの時代にも甦り再生しつづけることを約束する。
光が溝をトレースする軌跡に、千葉三樹の使命と遺志がある。

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千葉三樹の想い 「アナログ・レコード音楽文化を永遠に・・・。」 
レーザーターンテーブル物語。

エジソンの蓄音機の発明以来、世に送り出されたレコード、それは私達人類の貴重な財産です。
レコードの音溝を全く痛めないプレーヤー。それは世界中のオーディオファン、レコード音楽愛好家、文化財保存関係者、そして技術者達が夢に見、切望したものでした。この夢を最先端技術を駆使して実現したのが日米合作のレーザーターンテーブル(エルプの登録商標)です。

5本のレーザー光線により音溝をトラッキングし、レコードの音溝に刻み込まれた情報をくまなく拾いあげ、アナログ再生することが実現できたのです。
音情報をデジタル変換無しで、アナログ信号のまま低域から高域まで忠実に再生しますから、限りなく原音に近い再生が可能です。

レーザーターンテーブルへのあくなき挑戦、
脈々と息づく “開拓者魂”。

image米国の若き研究者ロバート・ストッダードはスタンフォード大学在学中、レコードは光学方式で再生可能との理論を発表しましたが、指導教授や学友全員に不可能だと反論されました。
卒業後、彼は自己の理論を実現すべくFinial Technology Inc.を設立し、夢の実現を熱望する多くの投資家から資金提供を受け7年の歳月と約24億円の費用を投入して基礎技術を確立したのです。
脈々と息づく“開拓者魂”、アメリカだからこそ実現できたレーザーターンテーブルの基礎開発。
事業化の共同パートナーを求め、ストッダード氏は 1988年来日しましたが、アナログ・レコードの市場性が見込めないこと、量産による生産コストの低減は期待し難いという2つの理由で全社から拒否されました。
従来の製品は、開発の段階からハードとソフト両面で量産し易いように規格がつくられますから、量産すればするほど生産コストが下がります。
レーザーターンテーブルは針での再生を前提にしたレコードをレーザーで再生するわけですから、中枢部品の全てはレーザーターンテーブルの為だけに開発され、熟練技術者による手作りに依らざるを得ないのです。
従って、当然、量産はできませんし、コストが高くつくわけです。

日本で誕生した、“Edison Laser Player”、レーザーターンテーブル

image大量生産、大量販売、大量消費の分野に新技術は応用されてきました。
反面、古くても価値ある商品の保存と一層の活用を可能にさせるのも新技術の在り方と信じております。

エルプでは、この考え方に沿って、ストダード氏から彼の技術を買い取り、日本で製品開発に着手しました。
新機能の開発、電気回路の全面修正、光学部品の総点検、機構システムの改良、中枢部品の手作り製作の修得、手作業による組み立て行程の確立等。

そして、約5年の歳月をかけて完成したのが現行スタンダード型のレーザーターンテーブルです。
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